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ミリタリーがルーツのファッションアイテムまとめ。セーラー服も実はミリタリー!?

すべての洋服には、原型となるルーツが存在します。

もともと役割があった服を、時代の変遷とともに日常の街着として着るようになったのが現在の洋服です。

ファッションにおいて、ルーツを理解することはとても大事なことです。

この記事では、ルーツの重要性に焦点を当てながら、ミリタリーがルーツのファッションアイテムを一覧でご紹介します。

まずは、そもそもルーツにはどういった種類があるのかを見ていきましょう。

絶対に覚えてほしい「洋服の7大ルーツ」

現在の洋服はおもに、下記の7つをルーツ、つまり原型としています。

  1. スーツ&制服
  2. ミリタリー
  3. アウトドア
  4. スポーツ
  5. ワークウェア
  6. 下着
  7. 民族衣装

例えば、テーラードジャケットはスーツスタイルから、Gパンはワークウェア、ポロシャツやスニーカーはスポーツウェアといった具合です。

ユニクロからルイヴィトンまであらゆるブランドで売っているカジュアル衣料やビジネスウェアのほぼすべては、上記の分類のルーツを原型としたアイテムです。

ただし、ほぼすべてと言ったのは理由があります。

諸説あり、由来がはっきりしないものや、時代によって役割が変わっていくアイテムもあるからです。

例えば、ウールで編まれたセーターですが、これは、もともと男性がスポーツをする際に、伸縮性や吸湿性といった機能性から着用されていたものですが、女性のファッションに初めて取り入れたのはデザイナーのシャネルだといわれています。

つまり、もともとはスポーツをルーツとしながらも、時代の変遷によって、日常着やおしゃれ着に変わっていくアイテムもあるのです。

洋服のデザインには意味がある

服にはもともとちゃんとした役割があり、その機能性によってデザインされているのです。

もう少し具体例をあげましょう。

誰もが1本は持っているデニムパンツ、いわゆるGパンですが、これはもともとアメリカのゴールドラッシュの際に生まれたワークウェアがルーツになっています。

1870年代に、デニムの作業ズボンのポケットの補強のために銅製の鋲を用いるというアイデアで特許を取得したことが、その原型となっています。

Tシャツは、もともと下着だったものが軍隊でも採用されるようになり、のちに街でも着られるようになりました。

トレンチコートは、第一大戦中のイギリス軍が寒冷地用の採用した軍用のコートです。

スウェットシャツはスポーツ用に開発されたアクティブな洋服です。

このように、洋服にはすべて原型となったルーツがあり、そのデザインには意味があります。

デニムのポケットを補強するために鋲を打ったように、デザインにはちゃんと機能性という役割があるのです。

こういった理由やルーツを知っておくと、コーディネートを組む際に、大変役に立つことになります。

洋服にはもともと礼装用であったり、労働着であったり、運動用であったり、または軍用であったりと、服のデザインにはちゃんと機能性という役割があったと覚えておきましょう。

洋服のルーツを知らないと危険な理由

1882年、イギリスで出版された『Costumes of All Nations 』掲載の1830年からの各地の軍装の図板

オシャレを目指すうえで、洋服の「ルーツ」を理解することはとても重要です。

ルーツを無視したデザインの洋服やコーディネートには、わざとらしさや安っぽさが出てしまうからです。

例えば、裾に向かって少し細くなった形をしたパンツ(いわゆるテーパードパンツ)は、「スーツ」をルーツとしたアイテムです。

そのため、必然的に「スーツ」で使われるウール素材を主体としたパンツになります。

これはコットンを用いたチノパンツではだめなのでしょうか? 

そこで考えるべきはチノパンツの「ルーツ」です。

チノパンツとは、英国軍の軍用パンツが「ルーツ」です。

軍用作業用なので丈夫で動きやすいことが重視されているためシルエットはゆったりしたものが多くなっています。

もちろん裾先に向かってテーパードしたチノパンもあるのですが、「ルーツ」から外れたデザインとなっているため、ある種のわざとらしさというか作為的な雰囲気がにじみでてしまうこともあります。

ルーツから外れたデザインは嘘っぽく見えがち

メンズファッションにおいてわざとらしさや作為的であること、つまり余計なデザインが加わったアイテムは扱いがとても難しいものです。

「ルーツ」から外れたデザインはときに嘘っぽく安っぽく見えてしまうからです。

よく楽天などで安易なデザインが加えられた洋服が販売されています。

あの独特のチープさの原因は、本来の「ルーツ」にあった機能性を無視して適当にデザインを加えたことによって発生しているのです。

ただしハイブランドのように素材に説得力さえあればチープさを払拭させつつデザイン性を担保することも可能です。

このように、メンズファッションでは「ルーツ」を意識することが重要なのです。

ルーツから外れたデザインの洋服を着ると、人の目から見て不自然に映ってしまいます。

そのようなコーディネートをしてしまわないためにも、すべての洋服にはルーツがあり、それは何を原型としたものなのかをしっかりと覚えておきましょう。

ファッションにおける「ミリタリー」とは?

Military(ミリタリー)という言葉は、直訳すると「軍の〜、軍隊の〜」という意味を持ちます。

この言葉どおり、もともとは軍人が着用している衣類のことを指しますが、ファッションにおけるミリタリーは軍服のデザインをルーツにしたスタイルの総称を指します。

とくに現在においては、近代的な軍隊が整備された1600年代以降の軍服を指すのが一般的になっています。

なかでも陸軍の要素が強かったのですが、いまは海軍や空軍のテイストも要素に含まれるようになりました。

特徴①:機能性に優れたディテール

デザインの特徴は、軍ものらしい機能性に優れたディテールです。

例えば、フラップの付いたパッチポケットや、金属のボタン、エポーレット(肩章)などです。

これらはすべて軍の兵士が戦闘を優位に進めたり、攻撃から身を守ったりするための機能として開発されたものです。

そのためミリタリー由来のアイテムには、こうしたディテールがそのまま踏襲されていることが多いです。

見た目には装飾性が加わるため、現代の装飾性トレンドにもピッタリ。

特徴②:アースカラー

カラーについては、自然の色に近いアースカラーが基本です。

皆さんがイメージするであろう迷彩柄はもちろん、カーキ、ベージュ、ネイビー、セージグリーンなどですね。

こうした自然に溶け込むようなアースカラーが採用されているのは、軍人が戦場において敵から見つかりにくいようにするためです。

このように、ミリタリーとは軍服をルーツとした洋服の総称であり、機能性に優れたディテールとアースカラーが特徴になっています。

ミリタリーファッションの歴史

軍隊の戦闘服だったものがなぜ、ファションアイテムとして取り入れられるようになったのでしょうか?

詳しく見ていきましょう。

イギリスの「モッズ」から始まった

そのはじまりは、1950〜60年代頃のイギリスです。

「モッズ」と呼ばれるロンドンの若者たちが、アメリカ軍が採用していた「M-51」と呼ばれるミリタリーパーカーを着用したのがミリタリーファッションのはじまりと言われています。

モッズとは、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイルのこと。ロンドン近辺で発祥した。

その特徴は、髪を下ろしたモッズカット、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーとヘッドライトで装飾されたスクーターなど。

当時、朝鮮戦争が停戦されたことにより、アメリカ軍が生産していた野戦用のコートが世界中に安価でばらまかれたました。

これに目をつけたのがロンドンのモッズたち。

彼らの多くは、夜遊びのための移動手段としてスクーターを使用していましたが、エンジンが剥き出しのモーターサイクルにより、自慢のスーツが汚れてしまうことに困っていました。

それを解決したのが、この野戦用のコートです。

簡単に羽織れるうえ膝もとまでをカバーをしてくれるため、エンジンや泥はねなどからスーツを守るのに最適なアイテムでした。

さらに厚手で防寒性も高いことから、スクーター移動時の寒さ対策にもなったため、モッズの若者たちにとってはうってつけのアイテムだったのです。

そしてこの「M-51」は、後に「モッズコート」と呼ばれるようになります。

モッズコートはミリタリーの定番アイテムですが、このときのモッズっ子たちがその名前の由来になっているというわけです。

ミリタリーを身にまとった「ヒッピー」たち

そして、1960年代の後半になると、世界中で反戦運動が盛んになります。

その火付け役としてもっとも有名なのは、アメリカで生まれた「ヒッピー」でしょう。

ヒッピーとは、1960年代後半にアメリカ合衆国に登場した、旧来の価値観や性規範に対抗するカウンターカルチャーの一翼を担った若者たちのこと。その運動がヒッピー・ムーブメント。

ほったらかしたようなドライなロングヘアに、バンダナ、絞り染めTシャツ、ベルボトムのジーンズ、ナチュラルで野性味のあるファッションが特徴。

また反戦の姿勢を示すためにミリタリーウェアをあえて街着として着用した。

ファッションとカウンターカルチャー(対抗文化)は切っても切れない関係で、とても密接なものです。

日本の不良ファッションもカウンターカルチャーの一つです。

戦後に生まれたの不良ファッションは、社会に反抗し、自由を求める若者たちの享楽的な生き方を反映したものでした。

彼らは「太陽族」と呼ばれ、慎太郎刈り(スポーツ刈り)、アロハシャツ、マンボズボン、サングラスなどを身につけたスタイルが特徴で、「戦後の不道徳」として、社会問題にまで発展するほどでした。

話を戻しましょう。

1960年代に巻き起こったヒッピームーブメントは、ベトナム戦争への反対運動が発端になっています。

彼らヒッピーたちは、アンチ戦争の姿勢をあらわすために、ミリタリーウェアをあえて街着として着用していました。

当時はベトナム戦争で大量に作られた余剰品や、帰還兵が流した中古品が市場に安価で並んでいたため、彼らにとっても手に取りやすかったというのもミリタリーウェアが広まった一つの理由でしょう。

1969年に開催された「ウッドストック・フェスティバル」も有名です。ミリタリーウェアを身にまとったアーティストや観客がたくさん集まりました。

ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)は、1969年8月15日からの3日間、アメリカ合衆国ニューヨーク州サリバン郡ベセルで開かれた、ロックを中心とした大規模な野外コンサート。

約40万人の観客を集め、アメリカの音楽史に残るコンサートになると同時に、1960年代アメリカのカウンターカルチャーを象徴する歴史的なイベントとして語り継がれている。

このように、もともとは軍服であったミリタリーアイテムは、社会的な背景や課題の影響をおおきく受けながら、欧米を中心にファッションアイテムとして取り入れられていったのです。

こうした世界の流れは、戦後の日本にアメリカを経由して流入していきます。ちょうどこの頃から「洋服」が日本で着られるようになりました。

ミリタリーアイテムもまた同様に、時代にあわせて少しずつ変化をしながらファッションアイテムとして定着していったのです。

ミリタリーがルーツのファッションアイテム一覧

ミリタリーについてよく分かったところで、次は「ミリタリー」をルーツとしたファッションアイテムを一覧で見ていきましょう。

皆さんが普段身につけている身近なアイテムが実はミリタリー由来だったりして面白いですよ。

ただしアイテムによってはルーツがあいまいだったり、諸説あったりするため、あくまで一説としてご参考いただければと思います。

Tシャツ

1940年代のアメリカの船員がTシャツを着用しているところ

日々のコーディネートに欠かせない存在のTシャツですが、ルーツはアメリカ海軍です。

第一次世界大戦中に、制服の下に着用する肌着(アンダーウェア)として支給されたのがはじまりです。

あくまで肌着だったので、当時は服としてこれ一枚で着ることはありませんでした。

また、素材についても現代の様な軽くTシャツ向きのものではなく、ウールで作られたものでした。

そのため肌着用といえども、厚くて、重く、機能性としては充分なものではありませんでした。

そこで、改善を求めてアメリカが作ったのが、Tシャツの原型とされています。

それが戦後に入り、次第にファッションとして取り入れられるようになりました。

一般まで普及した理由には諸説あり、鍛え上げられた軍人たちが着るTシャツが若者にカッコよく見えたり、英雄的なイメージと結びついたりしたとも言われています。

また、1950年代にはアメリカの有名映画『理由なき反抗』で主演をつとめた「ジェームズ・ディーン」のファッションに世界中から注目が集まります。

彼が作中で身につけた「白いTシャツ・赤いナイロンジャンパー・ジーンズ」は若者が憧れるファッションスタイルとなりました。

Tシャツは当時まだ下着としての認識が強かった時代でしたが、彼がサラッとTシャツ姿で立ち振る舞ったことによって、若者たちの間でファッションとして認識されるようになりました。

とくに当時の日本においては、シネモードの全盛期でもあったため、外国映画で描かれる生活や風景、そしてファッションは大きな憧れの的でした。人々は映画スターの着こなしに憧れたのです。

シネモードとは、「シネマ(フランス語)」と「モード(フランス語でざっくり最新の流行)」を掛け合わせた言葉で、映画の登場人物やその背景などに影響を受けたファッションスタイルのこと。

このように、Tシャツはもともと軍隊で支給された肌着(アンダーウェア)でしたが、社会のさまざまな影響を受けながら、今では世界中で普段着として着られるファッションアイテムとして定着していったのです。

チノパン

出典:https://jamtrading.jp/blog/mens/2019/02/04/17325/

チノパンと聞くと、「ベージュのパンツ」をイメージする人も多いと思いますが、それは間違いです。チノパンツとは、「チノ・クロス」と呼ばれる生地を用いたパンツの総称です。

「チノ・クロス」とは、綿やポリエステル(まれに麻)を使った、厚手の丈夫な生地のことです。

生地の色は、ベージュ以外に、カーキ、グレイあたりが基本で、ホワイトもあります。

ルーツは、第一次世界大戦中に採用されていたアメリカ陸軍の軍服です。

中国(china)から生地を購入していたことが語源と言われています。(諸説あります)

特徴としては、光沢感のあるものが多く、デニムパンツなどと比べると上品で高級感があります。

現代ではダボダボ感の強いストリート風のパンツから、スリムでややフォーマルな雰囲気のタイプまで現在では色々なタイプが生まれています。

ネクタイ

出典:https://bottone.jp/blog/bottone-ceo/23703.html

ネクタイのルーツは諸説ありますが、現在のネクタイの原型ができたのは17世紀頃とされています。

フランス国王のルイ14世に雇われたクロアチア兵士が首に巻いていた「クラバット」がフランスで大流行したのがきっかけです。

クラバットとは、今のようなネクタイではなく、首に四角い布を巻いただけのスカーフのようなものでした。

クロアチア兵士は、無事に帰還することを祈って、妻や恋人から贈られたこのスカーフを首に巻いていたのです。

これを見たルイ14世が興味を示し、側近の者に「あれは何か」と尋ねたところ、側近の者は(スカーフについてではなく)クロアチアの兵士について尋ねられたと勘違いし、「クロアチア兵(クラバット)です」と答えたため、その布を「クラバット」と呼ぶようになりました。

このルイ14世がファッションにクラバットを取り入れたことで、富裕層や宮廷人の間に流行し、そこからさまざまスタイルのクラバットが生み出され、ヨーロッパ各地に広まっていきました。

そして、産業革命が起こった19世紀の後半に、当時は「レガート」と呼ばれる現在のネクタイの原型となるものが生まれました。

また、ちょうどこの頃、イギリスではクラバットの結び目のみを残したものが作られました。これがボウ(蝶ネクタイ)の始まりです。

ちなみに日本にネクタイが流入したのは1851年頃、ジョン万次郎が日本に初めてネクタイを持ち込んだといわれています。

戦後にはアメリカを通じて西洋の洋服が流入しはじめ、次第にネクタイがファッションに取り入れられるようになっていきます。そして、高度経済成長期を経て、日本のネクタイ文化が一気に浸透していきました。

いまでは男性のビジネスシーンのみならず、制服として女性がネクタイを着用する場合や、カジュアルなファッションアイテムとしてネクタイを着用するほどにまで広がっていますね。

セーラー服

イギリス海軍水兵のセーラー服

女子中高生の制服として定着しているセーラー服は、イギリス海軍(水兵)に採用された軍服がルーツです。

セーラー服=女性のイメージが強いと思いますが、実はもともとは男性の服だったんですね。

イギリス海軍で採用されたセーラー服は、時代が進むにつれ、各国の海軍でも取り入れられていき、今では日本の海上自衛隊も一部の階級が制服として着用しています。

セーラー服の特徴である大きな襟は、風が強い日に立てることで甲板でも声を聞こえやすくするためだと言われています。

また、当時の水兵は長髪を束ねて油で固めていたため、その油で背中が汚れないように襟が広くなったという説もあります。

そんなセーラー服がなぜファッションとしても取り入れられるようになったのでしょうか?

そのきっかけはイギリスのヴィクトリア女王にあると言われています。

当時、王室のヨットの水兵が着ていたセーラー服が気に入った女王は、のちにエドワード7世となる皇太子のために、子供用を作らせたそうです。

女王はほかの王子達にもセーラー服を与えたうえ、近しい関係にあったドイツ皇帝にもセーラ服をプレゼントしています。

これにより各国の王室で、セーラー服が子供服のトレンドになりました。

イギリス国内においては、王室に倣い、海軍好きの国民性も相まってセーラー服が子供服として流行しました。

まるでヴィクトリア女王=現代のインフルエンサー…….!

こうしたトレンドにより、イギリスをはじめとする欧米諸国にセーラー服が広まり、やがて女子学生の制服にもセーラー服が取り入れられるようになったのです。

ちなみに日本で初めて女子学生がセーラー服を着用したのは、1920年の京都にある平安女学院だといわれています。

現在でもセーラー服を採用している学校は多いので、多くの女子学生がミリタリーファッションをしているということになります。

カーディガン

カーディガンの生みの親「第7代カーディガン伯爵」

こちらも女子高生の定番として親しまれるカーディガン。

クリミア戦争で無茶な突撃を行ったことで有名な、イギリス陸軍幹部のカーディガン伯爵が考案した洋服です。

クリミア戦争は、1850年代にクリミア半島を舞台に行われた戦争。暖かい地域への南下をもくろむロシアと南側のトルコとの間で勃発し、イギリスやフランスも戦いに加わった近代史上でも稀にみる大規模な戦争。

この戦争をきっかけに、怪我をした兵士が着やすいように、保温のための重ね着であったVネックのセーターを前開きにして、ボタンでとめられる様にしたのが始まりと言われています。

これまでのニットはプルオーバー式が主流であったため、前開き式のニットは機能的にとても便利でした。これがのちに彼の名を由来として世界中に広まっていったのです。

ちなみに、同じくクリミア戦争に参加していた人物に、イギリス司令官のラグラン伯爵がいます。

彼もまた、怪我をした兵士でも容易に着脱できる袖の服を考案しました。

皆さんご存知の「ラグラン・スリーブ(ラグラン袖)」です。

こちらもカーディガンと同様に世界に広まっていき、現在はファッションとして定着するまでになっています。

クリミア戦争では2つのデザインが誕生しているんです。

ブレザー

1900年頃のイギリス海軍のリーファージャケット(俗にいうダブルタイプのブレザー)

ジャケットの一種であるブレザーには、「シングルタイプ」と「ダブルタイプ」がありますが、それぞれ起源が異なります。

シングルタイプは、クリケットやテニス用のジャケットがルーツ。

一方のダブルタイプは、ポーランドの騎兵隊=ミリタリーがルーツとされています。

前合わせがダブルになった理由は、騎兵隊の防寒対策です。

乗馬の際に、隙間から風が入らないように前合わせがダブルになったと言われています。

このデザインはイギリス海軍にも採用され世界的に広まり、現代においても将校クラスの制服として着用されています。

ちなみにネイビー(紺色)のブレザーは、1950年代に大ブームとなった「アイビー・ルック」の定番アイテムであったほか、1990年前後における「渋カジ」の定番アイテムにもなりました。

アイビー・ルックとは、1950年代にアメリカで生まれたファッションスタイル。ハーバードなどアメリカ東部の伝統あるアイビーリーグ校の学生たちが好んだ服装にモチーフを得たファッションのこと。1960年代に日本で独自の文化として流行したファッションスタイルでもある。

渋カジとは、渋谷カジュアルの略で、1985年〜1992年頃に流行したアメカジをベースにしたストリートファッション。アメリカ製のジーンズを主役に、キレカジ、ハードアメカジなど、かたちを変えながら流行した。

モッズコート

軍用パーカーM-51(のちのモッズコート)

モッズコートはミリタリーがファッションに取り入れられるようになった一番はじめのアイテムと言われています。

先述のとおり、誕生は1950〜60年代頃のイギリスです。

「モッズ」と呼ばれるロンドンの若者たちが、アメリカ軍が採用していた「M-51」と呼ばれるミリタリーパーカーを着用したのがはじまりです。

モッズとは、イギリスの若い労働者の間で1950年代後半から1960年代中頃にかけて流行した音楽やファッション、それらをベースとしたライフスタイルのこと。ロンドン近辺で発祥した。

その特徴は、髪を下ろしたモッズカット、細身の三つボタンのスーツ、ミリタリーパーカー、多数のミラーとヘッドライトで装飾されたスクーターなど。

ここで流行したモッズスタイルは、細みのテイラードスーツにチェルシーブーツ、米軍放出品のミリタリーコートを合わせるスタイルが定番のオシャレでした。

彼らはスクーターで移動するため、仕立てたスーツを守るためにミリタリーコートといった廉価品で合わせるのが粋だったのです。

全身「スーツ」スタイルに、コートだけ「ミリタリー」の要素を取り入れたスタイルは斬新だったため、現在にも影響を与えてるファッションスタイルです。

トレンチコート

第一次世界大戦のトレンチコート

トレンチコートのルーツは第一次世界大戦のイギリス軍です。

寒冷な欧州での戦いに対応するため、防水型の軍用コートとして開発されました。

トレンチ(Trench)は英語で「塹壕」を意味しており、このコートが第一次大戦での塹壕戦で活躍したことから由来しています。

実用性が高いうえ、見た目の機能美にも優れていたため、終戦後には寒い時期のファッションとしても取り入れられるようになりました。

また、ハリウッドの映画俳優が、フィルム・ノワールの中でトレンチコートを着用したことでより人気が高まり、ここでトレンチコートに「ハードボイルド」のスタイリッシュなイメージが付くようになりました。

フィルム・ノワールとは、1940年代から1950年代後半にハリウッドでさかんに作られた犯罪映画のジャンルのこと。アメリカ社会の殺伐とした都市風景や、シニカルな男性の主人公などが物語の特徴。

現代ではメンズ・レディースを問わず人気の秋冬ファッションとして定着していますが、2列ボタンや腰ベルト、肩にはボタン留めのショルダーループなど、軍服としての名残を多く残しているのが特徴のアイテムです。

ちなみにトレンチコートをはじめて製品として売り出したのは、皆さんお馴染みのイギリスのバーバリーとアクアスキュータムの2社といわれています。

Pコート

海軍発祥のPコート

ミリタリーファッションの代表格でもあるPコートは、19世紀末、イギリス海軍が艦上用で着用していた軍服がルーツになっています。

名前の由来は、「ピー(pea)」が「錨(いかり)の爪」を意味するという説と、メルトン生地のダブルコートをオランダ語で「pij」と呼んだことに由来するという説の2つがあります。

現代においてもPコートのボタンには錨のマークがあしらわれていたりしますし、イギリス海軍の軍服であったこと、そして漁師や船乗りの防寒用のコートとしても広まったことから、「ピー」は「錨の爪」に由来すると考える方が有力でしょうか。

Pコートの特徴は、幅広のリーファーカラー、防寒性のあるメルトン生地、縦に切り込まれたマフポケット、大きなボタン、短めの着丈などです。

これらはすべて、海軍の軍服であったころの名残です。

例えばマフポケットは、艦上で冷えた手を温めやすいようなデザインになっています。

大きなボタンは、手袋をつけたまま扱いやすくするためのデザインです。

短めの着丈は、作業性を重視していたからですね。

サイズ感についても、他のコートに比べてややタイトだと思いませんか?

これはもともとがセーラーシャツの上に着る事を前提としたコートであったことに由来しています。

なので現代においても、他のジャケットやスーツの上に着るコートとは異なり、シャツの上に着ることを前提に作られています。

もちろん巷で流行しているのは軍用品そのものではなく一般メーカーの製品になるので、軍用品とはシルエットや生地など、細かな部分には違いがあります。

とはいえ、そもそものルーツがミリタリーですから、基礎となる特徴は現代においても受け継がれているのです。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございます。

いかがでしたでしょうか?

今ではメンズファッションの中核をなすミリタリーアイテムですが、こうした歴史があってファッションとして広まっていったことを考えると、なかなか面白いですよね。

ミリタリーのルーツは軍服であり、当時の軍隊に求められた機能性の高いディテールと自然になじむアースカラーが特徴です。

冒頭で、洋服にはルーツがあると書きました。つまり、もともと役割があった服を、時代の変遷とともに日常の街着として着るようになったのが現在の洋服です。

今回のミリタリーアイテムのように、ルーツを知ることで一つ一つのデザインや機能に理由が存在していることがわかります。

一見ただの雑学のように思いがちですが、実はこうした知識は「オシャレ」と密接に結びついているのです。

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