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1970年代ファッショントレンド総まとめ|代表格イヴ・サンローランをはじめ、ヘビーデューティー、ニュートラ、ハマトラ、サーファーブームなど一挙解説

こんにちは!まとめです。

皆さんは1970年代のトレンドと聞いて、なにを思い浮かべますか?

すぐに思い浮かんだ人はなかなかすごい。アパレル関係者でしょうか。

恐らくほとんどの方は、パッとは思い浮かばないんじゃないかなと思います。

僕は、洋服年間1000万円購入&自社ブランドを複数展開しており、このブログをはじめとするファッション情報のメディアも複数運営しています。

今回はそんな僕が「1970年代のトレンド」にスポットを当てて解説していきます。

1970年代のトレンドをギュッと1記事にまとめました。

1970年代のトレンドを一言でいうのであれば「モードの大衆化」でしょう。

これまで一部の上流階級しか手に入れられなかった、パリの有名デザイナーの洋服が、大衆の手にも届くようになってきた年代です。

モードの帝王「イヴ・サンローラン」が日本に上陸したのもこの年代。

ラルフローレン、ブルックスブラザーズ、ポールスチュアートなどのアメリカンブランドも続々と登場します。

これらを皮切りに、ファッションはさらに大衆化。

日本初のセレクトショップといわれるBEAMSがオープンしたのもこの年代。

anan、non-no、JJ、POPEYEなどのファッション雑誌が登場したのもこの年代。

ラフォーレ原宿、渋谷109が登場したのもこの年代。

どうでしょう?1970年代のトレンドに興味が湧いてきましたか?

「このまま読み進めてみよう」と思ったあなたは、勉強熱心。オシャレの素質があります。

実は、世の中のオシャレを志す人々のうち、9割以上の人は、過去のトレンドに興味を示しません。

なぜなら「過去」よりも「今」が知りたいからです。

しかし、過去があって未来があるように、現代のオシャレや流行は、かつて流行ったものが形を変えてリバイバルしたものです。

つまりファッションというものは、過去の歴史から学べることが沢山あるということです。

過去のトレンドを知ることで、今なぜそれが流行っているのか理由が分かるようになります。

「人よりも詳しい」という状態はファッションへの自信にも繋がり、内面からオシャレに磨きをかけます。

知っている人と知らない人。自然と着こなしにも差が出るのは当然です。

少し話が逸れちゃいましたね。

とにかくここで伝えたかったのは、ファッションは「知る」ことでオシャレになれるということです。

ぜひこの記事を通じて、オシャレの知識を1UPしてみてください。

1970年代のトレンドは「モードの大衆化」。

これまで手が届かなかった海外の最先端ファッションが、どんどんと日本中に広まっていきます。面白いですよ。

モードの帝王「イヴ・サンローラン」初上陸

世界が認める天才デザイナー
出典:https://www.elle.com

20世紀を代表する世界的デザイナー「イヴ・サンローラン」。

「モードの帝王」とも呼ばれ、赤・黄・青の3原色を大胆に取り入れた「モンドリアンルック」や、狩猟のときに男性が着る服を女性用のスーツとして改良した「サファリルック」など、数々の名作を残してきた人物です。

モンドリアンルック
出典:https://ovninavi.com/

あのクリスチャン・ディオールの愛弟子としても知られており、自信の名を冠したブランド「イヴ・サンローラン」はあまりにも有名ですね。

そんなイヴ・サンローランが日本に上陸したのは、1970年。東京の青山通りに、全世界で47番目の店舗をオープンしました。

実はこれ、日本で最初の海外ブランドの路面店です。

当時の日本は、一般庶民が海外ブランドの洋服を手に入れようと思ったとき、金額的にもそうですが、そもそも物理的にも手に入れるのが難しい時代でした。

なのでこのイヴ・サンローランの出店は革新的な出来事。海外ブランドの洋服が、少し身近な存在になったのです。

イヴ・サンローランは、オートクチュールより手が届きやすい「プレタポルテ」の発展に大きく貢献した人物としても有名。

オートクチュールとは、顧客から注文を受けてデザイナーが洋服を作る「高級衣装店」のこと。超超超高級です。

一方、プレタポルテは「既製服」のこと。特定の顧客に対して作るのではなく、アパレルメーカーが大衆向けに生産し、小売業者が販売する流れになります。

1970年代以前のモードファッション、オートクチュールは、上流階級の人しか着れない服しか用意していませんでした。

しかし、それらの服を作っていたメゾンが、プレタポルテ(既製服)を生産するようになったことで、以前よりもたくさんの人にメゾンの服がいきわたるように変化していったのです。

格式の高い最先端のモードが、ファッションとして大衆化しはじめたのです。

イヴ・サンローランは、プレタポルテ、すなわちモードの大衆化の立役者です。

anan(アンアン)登場

anan創刊号(1970年3月20日号)
出典:https://hamonika-koshoten.com/

1970年代は、ファッション雑誌がメディアとして大きく発展した年代です。

その代表格は、皆さんご存知のananでしょう。

1970年、ananの前身にあたる「平凡パンチ・女性版」は、フランスの女性ファッション雑誌「ELLE」と提携。

これまでにない新しいファッション誌「anan ELLE JAPON」として誕生します。

「布をみにまとうことだけがおしゃれではありません。リズムをとること、踊ること、話すこと、どんなものをどんな風に食べるかということ、住むこと、旅すること、みんなファッションです。」

と、新しいファッションの考え方を提唱しました。

表紙に起用するモデルや、当時難しかった海外ロケ、さまざまな分野のクリエイターが結集した誌面作りなどにより、若者をはじめとする多くの人々のカルチャーに影響を与えました。

スタイリストの草分けとして有名な原由美子氏のインタビューによれば「日本には若い人が見て楽しい雑誌がまだなかったけど、ananならそれができそう…。」という未来を思い描いていたそうです。

今や、当時の思いを遥かに超える一大雑誌です。

1970年代は、このananの登場を皮切りに、1971年にはnon-no(ノンノ)、1975年にはJJ(ジェイジェイ)、1976年にはPOPEYE(ポパイ)など、数多くのファッション雑誌が登場していきます。

とくにananとnon-noは当時の双璧になっていて、ファッション雑誌の影響を受けている人たちは「アンノン族」と呼ばれ、当時のトレンドになりました。

ファッションのトレンドは、その時代に流行した「娯楽」とも密接に結びついています。

例えば、1960年代の娯楽の王様は「映画」でした。人々は劇中に登場する映画スターの着こなしに憧れ、そのファッションスタイルをこぞって真似しました。

それが1970年代に入ると、新たにファッション雑誌が若者の娯楽に仲間入り。雑誌に登場するモデルたちの着こなしが、そのままトレンドとして流行するようになったのです。

セレクトショップ「BEAMS」登場

創業当初のBEAMS(現在の原宿BEAMS店)
出典:https://ameblo.jp/beams-class/

ファッションに興味がない人でも、一度は耳にしたことがあるであろうBEAMS。

アパレル業界では、UNITED ARROWS、SHIPSと並んでセレクトショップの御三家と呼ばれ、日本を代表する人気のセレクトショップです。

BEAMSは、アメリカ西海岸のファッションとライフスタイルを若者に広めた立役者。

その誕生は1976年、スタートは原宿のわずか6坪の店舗でした。

「アメリカのライフスタイルを軸に生活全体をオシャレにする」をコンセプトに、ファッションを軸にアメリカ西海岸の生活様式を提案。アメリカから衣服や雑貨を直接買い付け、販売していました。

当時の日本において、アメリカの生活様式は憧れの的。BEAMSがラインナップする本場米国からの直輸入品に魅了された人々がこぞってお店に集まりました。

翌年の1977年には、渋谷の若者文化や流行を象徴する、通称「ファイヤー通り」に2店舗目を出店。

若者たちは本場アメリカのデニムパンツやワークウェアを身に纏うようになり、アメリカンカジュアルのトレンドが生まれたのです。

日本のアメカジスタイルの原点になったようなトレンドです。

ファッションビルの登場

渋谷をファッションの街に変えた「渋谷パルコ」
出典:https://www.shibukei.com/

モードをはじめとするファッションの大衆化が進んだ1970年代。その大きな後押しとなったのはファッションビルの誕生です。

その代表格は、1973年に誕生した「渋谷パルコ」でしょう。

冒頭で紹介したイヴ・サンローランをはじめ、国内で人気の銀座マギー、ひよしや、レリアンなどのほか、紳士服、バッグ、シューズの専門店といったテナントが並びました。

最先端のファッションを発信した渋谷パルコには、多くの若者たちが集まるようになり、一大トレンドに。

ファッションビル周辺にも多くのブティックが現れるようになり、渋谷が丸ごとカルチャーの街に変貌したのです。

以降、このエリアは日本のファッションを牽引する文化の発信地になっていきます。

1978年には、皆さんご存知「ラフォーレ原宿」が誕生します。

明治通りと表参道の交差点にドンと構えた同ビルは、フランス語で「森(ラ・フォーレ)」を意味し、原宿エリア初の大型商業施設となりました。

ラフォーレ原宿が打ち出したテーマは「ファッション=時代を表現するカルチャー全般」。

「ホコ天」を中心とした原宿のストリートブームや、翌年の「竹の子族」ブームで注目が集まっていた原宿の変化とともに、最新のファッションを発信しました。

ここも渋谷パルコと同じように、ファッションビルの象徴的な存在として、大きなトレンドを巻き起こしたのです。

原宿がファッションの街として栄える大きなきっかけとなった出来事でした。

今でも原宿は若者のトレンドの発信地です。

ヘビーデューティー(アウトドアのファッション化)

メンズクラブが提唱した「ヘビーデューティー 」
出典:https://fashion.aucfan.com/

1970年代は「ヘビーデューティー」と呼ばれる、アウトドアファッションの一大トレンドも生まれました。

男性向けファッション雑誌のメンズクラブが提唱したことで生まれたトレンドです。

本来、この言葉は「丈夫で」とか「実用性本位の」という意味をもちます。

アウトドアスポーツ用のダウンジャケット、マウンテンパーカ、デイパック、ワークブーツなどの一見ファッションとは無関係のアイテムを解説するときに使われていた言葉です。

なぜこの言葉とともにアウトドアファッションが流行ったのかというと、世間のライフスタイルが「健康志向」「自然回帰」へと移り変わったからです。

以前の記事でもお話ししましたが、1960年代は、反戦を掲げるアメリカの若者(通称ヒッピー)たちが、野性味あふれるファッションスタイルの一大トレンドを巻き起こしました。

それが1970年代に入ると、ベトナム戦争の終結とともに、ひっそりとそのムーブメントに幕を降します。

ここでトレンドのより戻しが起きます。

ヒッピーをはじめとするアメリカの若者たちは、バックパックに荷物を詰め、街からアウトドアへと向かうようになったのです。

そうしたライフスタイルのなかで、自分が持つべきものをもう一度見直したときに、本物志向のアイテムや、耐久性があり永く使えるアウトドアギア的なものに注目が集まりました。

この自然を意識した健康志向は、アメリカを通じて日本にも流入し、大きなトレンドへと変貌していきます。

そこに目をつけたメンズクラブは、アウトドアウェアをカジュアル化し、タウンユースするファッションスタイルを提案。

マウンテンパーカのインナーにダウンベスト、スニーカー、トレーナーなどが流行し、現在でもカジュアルかつ実用的なファッションアイテムが、この頃から広まっていきました。

街中に山男・山女があらわれるようになり、アウトドアウェアが街着として定着していったのです。

「ヘビーデューティー」は、これまでの「アイビー」「トラッド」ベースのファッションの価値観を大きく変えた、一大トレンドでした。

現在のアウトドアファッションのルーツもここにあります。

ニュートラ、ハマトラ、サーファーブーム

ファッション雑誌「JJ」が火をつけたお嬢様スタイル
出典:https://jj-jj.net/fashion/

1970年代の半ばには、女子大生たちの間で「ニュートラ」「ハマトラ」というコンサバティブ(保守的)なファッションスタイルが流行しました。

一言でいうとお嬢様スタイル。

「ニュートラ」とは、ニュートラディショナルの略。

1960年代に「みゆき族」として流行したトラディショナルなスタイルをベースに、海外高級ブランドのアイテムを合わせたことで、そう呼ばれました。

セリーヌ、グッチ、ルイヴィトン、エルメス、クレージュといったヨーロッパの高級ブランドを、これでもかと見せつけながら見にまとったスタイルです。

このニュートラから派生して生まれたのが「ハマトラ」。

横浜トラディショナルの略で、フクゾー、ミハマ、カヨ、キタムラといった地元のブティックのブランドアイテムを見にまとい、横浜から広がっていったスタイルです。

ちなみに、これらのお嬢様スタイルのバイブルだったのが、先ほどチラッとお話ししたファッション雑誌「JJ」です。

JJは、高度経済成長にともない、大学や短大に進学することが当たり前になった女性の「豊かさ」をファッションで表現。

制服のような良家の子女風スタイルでした。

この影響を受けた女子大生たちは、「豊かさ」を表現するためにお嬢様のようなスタイルを信仰し、ブランド品に目をつけたというわけです。

そして、これとシンクロするように生まれたのが「サファーブーム」。

当時はスポーツをすることも一つのステータスになっていたため、横浜などの港町を中心に、多くのサーファーたちが誕生。

日焼け肌に薄着のTシャツ、サングラス、ショートパンツ、ビーチサンダルといった、サーフファッションがトレンドとなりました。

ちなみにこのサーファースタイルは、横浜生まれの「ハマトラ」と相性抜群。

当時人気を博していたボートハウスやクルーズのトレーナーなどが、ファッションに取り入れられていきました。

女子大生たちはこの「ニュートラ」「ハマトラ」「サーファー」をTPOに応じて使い分けながらオシャレを楽しみ、ブランド志向の一大トレンドを築き上げたのです。

ついに高級ブランドが学生の手に届くまで大衆化しました。

まとめ

最後までお読みいただきありがとうございました!

1970年代のトレンドを、時代のトピックとともに振り返ってきました。

冒頭でもお話ししたように、1970年代はモードが大衆化した年代。

イヴ・サンローランをはじめとする海外の最先端のファッションが、一般庶民にも手に届くようになったのです。

上流階級向けのオートクチュールに対し、一般層向けのプレタポルテが登場したことにより、海外の有名ブランドが街中でも販売されるようになりました。

それで生まれたニュートラやハマトラなんかは、今でいう港区女子のような存在に近いかもしれませんね。

また、セレクトショップやファッションビルの誕生により、ファッションの大衆化はさらに加速しました。

渋谷と原宿が若者の流行の発信地になったのも、この1970年代なのです。

ファッション、オシャレの礎を築いた1970年代。

長くなりましたが、次回はまた別の時代のトレンドをご紹介する予定です。

まだまだ面白いファッションの歴史やトレンドがありますので、ぜひご期待いただければと思います。

次回の更新をお楽しみに!

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